舞い降りたる厄災






 その山は、大地と呼ばれる広い円盤の、丁度中心に位置している。
 標高は約2万メートル――常識では考えられない高さの山だ。
 その頂ともなれば、もはや生き物にとっては空気などないに等しい希薄さである。
 だから、そんな高さの場所に、よもや住まう者がいようなどとは、普通なら考えも付かない事だろう。

 普通ならば。

 聳え立つ人知を超えた山の頂に程近い絶壁。
其処にある、小さな町ほどの大きさの岩棚のひとつで、彼らはひっそりと暮らしていた。

× × ×


 ドウン、と響き渡るような地鳴りを伴って、固い岩盤が激しく揺れた。
「・・・・・・ユティ」
 白皙の額に深く煩悶の縦じわを刻み付けながら、青年はひとつ溜息を突いた。
「どうしてお前の魔法はそう、いつもいつも在らぬ所で暴発するんだろうな」
「ご、ごめんなさい・・・・・・」
 しょげ返るような声で謝って、ユティはがっくりと肩を落とす。
 その目の前で、訓練場の石積みの壁が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。
 多少の衝撃ならビクともしない、がっしりと組み上げられている筈のそれは、ある所は氷河の一角のごとく凍りつき、またある所は燃え尽きて炭の様になっていると言った、見るも無残な有様である。
 氷の飛礫を打ち出すと言う、威力の低い魔法を使った筈であるのに、氷結しているのはともかく、何処をどうしたら壁が燃え尽きるのかは、教える立場である青年にとっても甚だ困った話なのだが。
「しかしまあ、攻撃をしたいと言う意味では、攻撃魔法と言えない事もない、かな」
 狙った対象に当たっていれば。
「・・・・・・ごめんなさぁい」
 見るの無残な事になってしまった石壁の横に、狙った的である筈の木の杭は、まったくの無傷ままで寂しく突っ立っている。
「これはまた、フィノーラの怒りの鉄槌が落ちそうだな」
 肩を竦めて苦笑し、青年はもう一度、今度は小さく溜息を突いた。

 「魔法」と呼ばれる叡智の技術が、地上に住む種族の手から失われて、既に長い時が過ぎようとしていた。
 多少の差はあれ、本来生命ある物に須らく宿る「魔力」と言う力を基にしたその術は、今となっては御伽話にしか見る事の出来ない、過去の遺物と化してしまった。
 平らかに円盤状に広がる大地の中心に位置するこの山の頂で、その「魔法」を自在に操り、その力で生活を営む者達がいるなどと、想像する者すら稀有になりつつある今この時に、それが事実であると認識している人間など数える程しかいはしない。
 だが、彼らは確かに存在しているのだ。
 尤も地上の者達が彼らの存在を知った時、彼らを「人」と称するかどうかは、おそらく意見の分かれるところであろう。
 彼らは「人」としての姿の他に、もう一つ自らを表現する生来の姿を持ち合わせている。
 それぞれの一族が象徴する色に輝く鱗に覆われた、巨大な爬虫類の如き体躯。
 その巨躯を支え、広き空を泳ぐ事すら可能にする力強い翼。
 地上の者などが及びもつかない高みから物を見る、知性と造詣に満ちた瞳。
 彼らの真の姿を垣間見た地上の者達は、畏敬の念を込めてその者達を「大いなる蛇」――ドラゴンと、そう呼び習わした。

 氷と冷気を操り、「留まる」と言う理を司る氷竜族は、元来は水竜族の一で、風竜族との混血によって派生したものである。
 しかし、春の守護者でもある水竜族の穏やかさより、その性は風竜族の破天荒さを強く引く者が多く、また守護する巡りは地竜族が司る冬に属する彼らの位置付けは、支流の一族の中でも特異な例であると言えよう。
 その氷竜族の娘が、よりにもよって火竜族の青年などと結ばれてしまったのが、そもそもの間違いであったのかも知れない、とユティは思う。
(・・・・・・そうでもないか)
 同じ血を引いていると言うのに、とかく抜きん出て優秀な、畏敬する姉フィノーラと敬愛する兄イーダは、一族の中でもトップクラスの実力者だ。一部では、将来はどちらかを族長に、と言う些か気の早い声まで上がっている。
 それに引き換え末っ子のユティときたら、姉兄と同じなのは母譲りの水色の髪と瞳くらいのもので、肝心の魔法の方は、生まれてこの方、一度たりとも、うまく使えたためしなどない。
 冷風を吹かせようとすれば灼熱の強風が荒れ狂い、雪をと念じれば火の玉が降る。
 何故か効果に火性が混じってしまうのは火竜である父の血を濃く引いたからなのだろうが、それにしても氷と火ではあまりに相性が悪すぎる。
 狂いっぱなしの魔法効果も、一定の法則があればまだ解決のしようがあるかも知れないが、使っている本人でさえ次にどんな事が起こるのか検討もつかないのでは、最早手に負えない。
 それでも面倒見のいい兄のイーダは、暇さえあれば魔法訓練に付き合ってくれるのだが、先日とうとう、その兄に巨大な火炎弾を直撃させてしまうに至って、父母からも姉からも族長からも、当面魔法訓練禁止のお達しが下ってしまった。
 それを、ようやく普通に動けるまでに回復したイーダが彼方此方とりなして、訓練再開に漕ぎ着けたまではよかったのだが。
 訓練場の壁に、あんな大穴を開けてしまったのでは。
「怒られる、かな」
 そう思えば、脳裏を過ぎるのは華麗なる姉フィノーラの、烈火の如き仁王立ちである。
 火竜族の血を性格と言う部分で一番強く引いたのは彼の姉君であると、これは誰もの意見が一致した見解である。
「・・・・・・怒られるよねぇ・・・・・・」
 はふぅ、と深く溜息を突いて、ユティは拝殿に続く石段に腰を下ろした。
 うまく言ってやるから待っていろと、イーダが族長の所に行ってくれたのはいいが、一人取り残されてしまうと、どうにも手持ち無沙汰で嫌な事ばかり考える。
 どうしようもない厄介な魔法より、この後ろ向きな性格の方にこそ火竜の血が現れてくれればよかったのに。
 詮無い事とは知りつつも、思わずそんな事を考えてしまう自分が、尚恨めしい。
「どうして、うまく行かないのかな」
 そう呟いて掌をかざして見れば、ポゥ、と透き通る光が浮かび上がる。
 陽の光に揺らめくそれは、占い師のばば様の水晶玉のように綺麗で、とてもとんでもない破壊力を秘めているようには見えない。
 それなのに、これがどうしてああ言う結果ばかり生むのだろう。
「あ〜あ、嫌になっちゃうなぁ」
 もう一度溜息を突いて、少女は空を仰ぎ見る。
 何気ない動作、何気ない挙動。
 だが、その視界に。

 ぷらん、とぶら下がっているモノが――見えた。

 大体、多くの人は本当に見たくない物を見てしまった一瞬は、どうしても硬直を免れないものだと言う。
 この場合が、まさにその瞬間だろう。
見たくもないその物体に、ユティの思考は完全に停止する。
 ・・・・・・木の枝から垂れ下がる、緑色をした、妙にウネウネと動くその、物体。
「い」
 ぺろんと、今にも降って来そうな、その生き物。
「い、いやぁああああっ! 毛虫ィいいいいっっ!??!」
 絶叫にも等しい叫び声が、周囲一体に響き渡る。
 その刹那、ユティの手元から魔力の塊である光の玉が離れた。
 しまったと思う時間さえ、あったかどうかは怪しいだろう。制御を失った魔力の玉は、勢い良く宙を滑り、そのままあらぬ方向へと転がり落ちる。
 その行方を追った視界に、今度は人の姿が飛び込んで来た。
 それはまさに今、玉が落ちんとしているその場所で。
(う、うそっ)
 ドォオオン、と着弾の地響きが周囲を揺らした。
 濛々と巻き起こる砂煙と爆風で、視界が白く遮られる。

 ――被弾した。

 今のは確実だった。
 間違いなく、直撃だったに違いない。
 仮に運良く気付いたとしても、到底避けられるよなタイミングではなかった。
「・・・・・・し、死んだ、かも?」
 あはは、と乾いた笑いを垂れ流して、ユティは呆然と砂埃の中を見る。
 厚さ50センチはあろう石壁を、粉微塵にしてしまう爆弾である。如何に竜族が強靭な肉体を保有しているとは言え、ただで済むとは思えない。
 現にイーダでさえ、一月近く寝込んだのだ。
 下手を打てば、当たった相手も粉微塵になりかねない。
「――・・・・・・何事だっ!」
 物音を聞きつけて拝殿から人が出てきた。
 事の元凶が自分である事は、どう見ても明らかである。
(どう、しよう)
 焦りと恐怖に顔が引きつる。
 何と言っていいのか分からない。
 一体何をどう言えば、この状況が変化するというのだろうか。
「氷竜族のユトゥルナ!? また何かやったのか、お前は!」
「あ、あの、私・・・・・・っ」
 駆け寄ってきた拝殿勤めの地竜の男に腕を掴まれて、ユティは悲鳴じみた声を上げる。
(・・・・・・イーダ!)
 ぎゅっと目を閉じて、心の中で兄の名を呼んだ。
 それは、誰よりも頼りに思う、たった一人の名前。
 救いを求める為の、庇護されるべき者の叫び。

 だが、それに応えたのは兄の声ではなかった。

「・・・・・・やれやれ、手荒い歓迎ですね」
 そう言うと男は、優雅な仕草で軽く手を払う。
 柔らかく流れる黒髪がふわりと揺れ、夜の帳をそのまま引き込んだような黒曜の瞳が伏せ目がちに視線を流す。
 ゆったりとした着衣の裾が、彼の動きにあわせて涼やかな孤を描く。
 手を払う、ただそれだけの僅かな仕草――だが、その動きの中に、なんと確かで力強い魔力が収束されている事だろうか。
 竜の一族ではない。
 一族の血の連なりを、彼には感じない。
 だが、なんだろうか。
 彼の瞳の奥に感じる、自分達に近い、とても懐かしいもの。
 暖かく流れる、源にも等しいもの。
 それは・・・・・・。
「この出迎えの送り主は、貴女ですね」
 にっこりと、男は微笑んだ。
「氷竜族の・・・・・・ユトゥルナ、と言いましたか?」
「あ、あの」
 口篭りながら見返したユティの背を、冷たいものが勢い良く駆け抜けた。
「後で、私の所へいらっしゃい」
 そう優美に笑みながら言いきった男の目は。

 微か一片たりとも、微笑んでなどいなかった。


 この時を境に、ユティはそれでも辛うじて平穏だった故郷での日々に、永劫の別れを告げる事になる。
 これが、創造主の一人――王逍藍と、氷竜族の娘ユトゥルナの出会いであり。
 彼女にとっての、長い長い物語の始まりであった。

《終》